ニッポンの思想

佐々木敦さんの著書。

氏は自分がpodcastでよく聞いている「文科系トークラジオ Life」のサブパーソナリティ。その「Life」で特番的にこの本に関する番組を放送していたので、興味を持ち手に取った本。

構成は、80年代、90年代、00年代の思想界の名プレイヤー達の変遷(歴史)を辿るという、非常に客観的な視点の本。ただし、選んだプレイヤーはあくまで著者の視点でしかないので、そういう意味では主観的でもある。しかし、今まで思想界の歴史を全く知らない私としては、人数を絞って語ってもらった方が、最初の取っ掛かりとして入りやすく有難い。

目次を見てもらうとわかるが、80年代は4人、90年代は3人、そして00年代は東浩紀のたった1人、という状況とのこと。思想界の代謝は相当悪くなっている様子。また、浅田彰と中沢新一という80年代の2人だが、75年生まれの私としては、何故今に至るもこの2人が注目されるか良くわからなかった。何がそんなに凄いの?って感じ。その理由が少しはわかった気がする。

要するに80年代の思想「ニューアカ」は「ファッション」だった(「ファッション」として利用された)わけだ。この2人は言わば「ファッションリーダー」。そして、広告(消費)文化との深い結びつき。積極的にプレイヤー達が広告業界と結びついた。だからこそ、ほぼ日の糸井重里氏が、あれほどまでに中沢新一氏を持ち上げるんだな。。ほぼ日は以前良く読んでいたが、正直理解出来なかったのだ。何故糸井氏があれほど中沢氏に入れ込むのかが。特に中沢氏の本を読みたいと思わない私としては。

もっとも、当の本人達は思想の内容ではなく現象だけを取り上げられたのは多いに不満があったようだが。。。

さて、90年代の3人だが、宮台氏は「マル激」を毎週観てる私には大変馴染み深い人。その他、福田和也氏は名前は知っているし、氏が参加された座談会のような本も読んだコトがあるが、あまりシンパシーを感じたコトは無い。深く知らないと言った方が良いか。。大塚英志氏に至っては全く知らない。

この3人が取り上げられているのは、80年代の思想を否定しつつ(著者の言葉で言えば「シーソー」)、自分独自の足場を作るコトが出来たから。00年代に東氏が一人勝ちしているのも同じ理由。ゲームのルールを作ったから、そのゲーム盤で圧勝しているのだろう。逆に言えば、東氏以外、独自のルールを設定できた人が居ないというべきか。。(それだけ「コード化」=「リゾーム化」=「ポストモダン(大きな物語の崩壊=小さな物語の乱立)」が進んだ結果なのかもしれないが)

マーケティング的に言うと、セグメント分けした1つのマーケットを1社独占しているということ。これは、本書でも「思想市場(マーケット)」という視点が語られている。

マーケットという視点から見ると、思想界には開拓地は既に無いのかもしれない。人間の「思想」は「商品」ほどバリエーションは生まれない。そもそもニッチ思想(商品)なんて元々小さい思想市場では、マーケットが小さ過ぎて商売にならないだろうし。だからこそ、00年代は東氏一人なのかな?そして、やがて訪れるだろうその状態を、80年代に「ポストモダン」と呼んでいたのかしら??

いずれにせよ、この変遷を踏まえた次の10年(てんねん)代の思想界はどうなっていくのか?著者の佐々木氏が参加されているだけでなく、「Life」のメインパーソナリティは、宮台氏の弟子でもある、チャーリーこと鈴木謙介氏なので、今後このネタも度々取り上げられるだろう。なので、購読者の私としても無関係ではない。

良い形で発展していけば良いのだが。出来れば、思想も実生活により身近な形で発展してもらいたいものである。

とにかく、30代~40代の人が思想界を学ぶには最適な書のように思う。50代~60代とかだと何故吉本隆明が居ないんだ?とか面倒な議論になりそうだし。。(もっとも私としては、吉本隆明氏はさらに何故持ち上げられるのかが不明なのだが)

30代の私としては大変わかりやすい良著だった。

以下は目次。

プロローグ 「ゼロ年代の思想」の風景
第1章 「ニューアカ」とは何だったのか?
第2章 浅田彰と中沢新一──「差異化」の果て
第3章 蓮實重彦と柄谷行人──「テクスト」と「作品」
第4章 「ポストモダン」という「問題」
第5章 「90年代」の三人──福田和也、大塚英志、宮台真司
第6章 ニッポンという「悪い場所」
第7章 東浩紀の登場
第8章 「動物化」する「ゼロ年代」

【参考サイト】
Life番外編「『ニッポンの思想』をめぐって」

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