「資本主義」と「経済学」を一から学ぶ

最近ある経済の本を読んだ。

もともとの出発は、「財政再建派やリフレ派が言ってることがどうにも腑に落ちない。この人たち嘘付いてるのでは?」という疑問から。

それで、何冊か財政再建派やリフレ派の人たちが書いた本を読んでみた。
いくつか本を読んで、ようやくある程度は腑に落ちた。その内容に関しては、こちらのページに書評を書いた。
https://booklog.jp/users/yoneo/archives/1/4492396462#comment

この文章を頭の中でまとめて納得はできたのだけど、自分はそもそも経済学についてよく知らない。それに気づいた。

というか、あえて避けてきたとも言える。
社会の複雑な状況を説明するのに、人間は目的合理的である、なんて理想化した前提の上に立っている経済学なんて何の役に立つんだ?、と。

ただ、食わず嫌いしてても仕方ない。
よく聞いてるpodcastのニュースでも経済学の話はよく出てくるし。知っておいた方が、経済学の何が有益で何が有益でないかもわかる。
そんな気持ちで手にとったのがこの本。

著者は小室直樹さん。
出版が1998年だからもう20年前の本である。

自分は大学で社会学を学び、社会学者の宮台真司さんを尊敬している。その宮台さんのお師匠さんがこの小室直樹さん。
前からこの本は興味があって読もうと思ってた。で、経済について学ぶならこの本だろう、と自然に手が伸びた。

結果、大正解!!!
いやー、本当にわかりやすくて、目から鱗がボロボロと落ちました。

そのエッセンスをあとで忘れないためにも、このブログにまとめておこうと思う。

資本主義

この本が面白いのは、「資本主義原論」と「経済原論」の2部構成になってること。

読んでみるとわかるが、なるほど、資本主義を理解してないと、そもそも経済学は意味がないことがわかる。
何故なら、現在の「経済学」は「資本主義」社会がある前提で成り立っている理論だから。

著者は、資本主義(市場)のエッセンスは「疎外」である、と説く。
人間が疎外されている、つまり、「市場には客観的な法則がある」、そして、「人間はそれをコントロールできない」
この理解がまず重要である。

そして、市場法則の第一義は「淘汰」にある。

淘汰はわかりやすい。
ダメな企業が退場して、革新的な良い企業が台頭する。至極当たり前の原理だ。
淘汰によって、企業や労働者も作られる。

そして、「資本主義市場」=「自由(完全競争)市場」だが、以下の4要素で成り立っている。

  1. 財の同質性
  2. 需要者と供給者の多数性
  3. 完全情報
  4. 参入と退出の自由

需要者と供給者が結構な人数いて、差別されることもなく、いつでも情報にアクセスすることができ、いつでも市場に参加・退出できる、ということ。

これが「完全競争」という状態だけど、まぁ、たしかに少し非現実的な感じはする。この辺りが経済学を今まで敬遠してた理由でもある。
しかし、この状態をベストと考えて、それに近づくよう現状を改善する、という方向性が間違っているとは言えない。

なお、この完全競争が実現された際の論理的必然性として、企業の「独占(寡占)」が生まれる。これは避けられない。
だからこそ、「独占禁止法」があり、特に欧米諸国はあれだけ「独占」に対して過敏に反応するわけだ。

さて、さらに、資本主義で重要な概念は「所有(私的所有権)」である。

そして、この所有には「絶対性」と「抽象性」という特徴がある。
「絶対性」は宗教、特にキリスト教から来ている。絶対なので例外はない。1人の人が所有していれば、その物をどうするかはその人の自由。これが絶対性である。
「抽象性」は、要するに今現在持っている/いないは関係なく、所有(権)が成立すること。これも、所有の意味を考えると、当然の権利である。

最後に「資本」。
資本主義の要である。

資本には「前期的資本」と「近代的(資本主義における)資本」がある。
「前期的資本」は、商品と貨幣が流通していれば良い。それだけ。他にルールはない。なので、簒奪なんかも自由。商略や欺瞞や暴力など、「利潤」は流通過程から「偶然」的に生まれる。よって「投機的」である。
一方、「近代的資本」は、正直で合法的な経済活動の結果、「利潤(剰余価値)」は生産過程(内部)から「必然」的に生まれる。ゆえに「投資」も正当化される。企業は投資した株主の所有物となる。

 

・・以上が、一番単純な、資本主義という「模型(モデル)」の型である。

なお、あくまで「型」なので、この型通りの国は存在しない。
各国でバリエーションが生まれる。その差異が何かを理解することが、資本主義を本当に理解する、ということなんだろう。

キリスト教などの宗教観

この本は資本主義や経済の本なのに、宗教についてわざわざ一章割いている。

資本主義を腹の底から理解するには、キリスト教などの経典宗教の「予定説」の理解が必須だから、とのこと。

予定説自体は、それほど難しい概念ではない。

日本人に馴染みが深い仏教は、「因果応報」という言葉もある通り「因果律」の世界だ。
原因があって、結果が生まれる。
数学や科学も基本的にはこの考え方が大前提。

これって当たり前じゃん?と普通は考えるが、宗教的な世界では違う。
結果があって原因に戻るのである。これが予定説。

はっきり言って気持ち悪い考え方ではあるけれど、宗教が生活の一部である欧米人には普通のことなんだろう。

神を信じるようになった(原因)から入信する(結果)のではない。
入信した(結果)という事実は、つまり、最初から予定されており神が選んだ(原因)からなのである。
神は絶対なので逃れる術はない。啓典の通り、世界は予定通りに進む。

このかなり妙な考え方を信じられるかどうか?
それが、結局その宗教を信じるどうかの要諦なわけだ。

資本主義とは、要するに宗教である。
教義(ドグマ)は「自由放任=自由市場はベストである」。
資本主義は、功利主義の上に立つ予定説という神学であり、ここから「個人の悪徳は公の美徳である=最大多数の最大幸福」や「神の見えざる手」という教説も生まれる。
(これが「古典派」経済学の基本的な考え方)

宗教観を理解する理由もここにあるが、そのことをこれだけわかりやすく解説している著者の見識の深さには、本当に脱帽です。

日本は資本主義国家?

さて、では日本は資本主義国家なのか?

著者は言う。
全く違う。日本は鵺経済(不完全資本主義国家)である。
「封建制」と「資本主義」と「社会主義」との混合経済である。

たしかに、前述した資本主義の型を見返してみるとよくわかる。

財務省などの役人が市場をコントロールできると思いこんでおり、まったく「疎外」されていない。

そして、本来退場すべき会社が政府の公的資金で生き残っており、「淘汰」の原理が全く働いていない。
これは、新興企業のライブドア社が検察に潰され、本来ライブドア以上に罰せられるべき罪を犯した東芝が何の罰も受けない、という事実からもよくわかる。

所有についても、「絶対性」や「抽象性」などの概念は日本人には理解しづらく、基本「理非は論ぜず、現実支配が所有である」という考えが浸透していて、役人は国庫を自分の財布と勘違いしている有様。

そして、「利潤の最大化」という目的を真面目に考え抜いてる経営者や労働者も少なく、責任をできるだけ取らず、リスクを避けて、すべてをナアナアで済ませてしまう。

「空気(ニューマ)」が支配する国。
それが日本である。

資本主義では「試行錯誤(Try and Error)」が神髄。
しかし、日本人ほど「エラー(ミス)から学ぶ」ことを行わない国民はいない。
分不相応のプラウドが邪魔してか、そもそも「ミス」と認めないので、改善までつながらない。

たしかに、とても「資本主義国家です。」なんて、恥ずかしくて言えたもんではない。

経済学

資本主義の基本を理解したならば、経済学を理解する準備完了。
さて、次は経済学である。

経済学を理解するには以下の公式を頭に叩き込む必要がある。

[有効需要の原理]
Y = C + I
Y: 国民(総)生産=国民(総)所得=GNP
C: 消費
I: 投資

[消費関数]
C = aY
a: 限界消費性向

[投資関数]
I = I (定数)

そして、

[均衡]
S(供給) = D(需要)
かつ、Y = S、D = C + I

上の有効需要の原理と消費関数はマクロ経済、下はミクロ経済の公式である。

なお、上記は方程式だが、恒等式にもなり得る。
方程式の場合は「需要が供給を作る」というケインズ経済学の有効需要の原理、恒等式の場合は「供給が需要を作る」という古典派経済学のセイの法則になる。

著者は、この有効需要の原理を理解しているだけでも経済学に対する態度がかなり違う、と述べているが、たしかにその通り。
物理学のE = MC^2のような簡単な公式だけど、有名な理論は大抵こういう簡単なわかりやすい式に置き換えられる。だからこそ偉大な発見なのだ。

なお、この公式は、数学の数式とはちょっと違う。
数学の公式は関数なので、基本は右辺が原因で左辺が結果になる。明確な時間軸がある。

しかし、経済の公式は「YがCを決める」、同時に「CがYを決める」。
無限の波及を呼ぶ。スパイラルとなる。単純な因果関係ではなく、相互連関している。
さて、この無限波及をどう計算するか?

この回答が「一般均衡論」。
経済学以外の社会科学で、一般均衡論に匹敵する業績はない。それくらいすごい数学的に構築された理論らしい。

どうも、本を読んだ感じだと、「均衡」していることより「相互連関」して「スパイラル」にYやCが変化することが、この一般均衡論の要諦っぽい。
以下がそれを表した図。

YとC、そして、WとPが相互に連関している。
さらに、このスパイラルは1つではなく、複数のスパイラルが折り重なっている(複合スパイラル)。
所謂バブルもこの複合スパイラルの結果である。

乗数効果

価格は需要と供給の均衡点で決まる。
(下記でいえば、A地点が均衡点)

この均衡点は、需要と供給が均衡しているという前提に立って、経済学の基礎的な方程式を解けばすぐに回答が得られる。

では、例えば、投資が増えた場合はどうなるか?
増えた投資分に沿って、この方程式が変化する。
そして、均衡点もAからBへ変化する。

数学の方程式であればこれで話が終わりだが、経済学では因果はスパイラルになっており、波及効果は無限に続く。
つまり、A→Bで終わりではなく、下記のグラフだと、A→Q1→P1→Q2→P2→…と無限に続いていく。

これを「乗数効果」と言う。

この乗数効果のおかげで、消費や投資は単なる1サイクルだけで終わらず、次々と波及していくことになる。
そして、この波及は+(プラス)だけでなく−(マイナス)の波及もあり、現在日本が陥ってるデフレスパイラルなどは、マイナス波及の典型でもある。

なお、乗数効果の分析(計算方法)には以下3つの方法がある

  1. 無限級数による方法
  2. 図による方法
  3. (微分)計算による方法

上記の図は、1と2の計算方法と言える。

三大経済学者

経済学に詳しくない自分でも、三大経済学者は?と聞かれたら、さすがに以下3名の名前は言える。

  • アダム・スミス
  • マルクス
  • ケインズ

それくらい有名な3人。

この3人の失業についての考え方を理解すると、経済学の潮流(派閥)がはっきり見えてくる。

  • アダム・スミス:失業は出ない。
  • マルクス:必ず失業は出る。
  • ケインズ:失業は出ることもある。が、失業を無くすこともできる。

この比較はすごくわかりやすい。
3人の立場を鮮明に表している。

アダム・スミスは自由市場の信奉者であり、市場は理想状態なので失業者なんか出るわけがない、という立場。
まさに宗教である。この立場は「古典派」と呼ばれる。
なるほど、自分が経済学が嫌いだったのは、この立場が受け入れられなかったからだな。。あまりに実感と合わないので。

マルクスの教義は「市場を自由にしておくと、資本主義は必ず滅亡する」。
その帰結として、当然失業者は必ず生まれる、となる。
所謂、資本家と労働者の対立や、搾取などの考え方はここから派生する。日本でも共産革命の嵐が吹き荒れた、その大元の考え方である。
この立場は「マルクス主義者(マルキスト)」と呼ばれる。

ケインズの考え方は一番現実的。「有効需要の原理」の発見も彼の功績である。
経済は「民間」と「公共」の2本柱で成り立っており、「公共投資」は経済に好影響をもたらす。
財政政策や金融政策も積極的に推し進めるべきである、という考え方。
政策に失敗すれば失業者も生まれるが、うまくいけば失業者はいなくなる。
この立場は「ケインズ主義者(ケインジアン)」と呼ばれる。

マルクス経済学は理論的に不十分だったらしく主流になったことはないようだが、「古典派」と「ケインジアン」は、国や時代によってどちらが政治の主流かがコロコロと入れ替わってきたようだ。
古典派が主流になれば「小さい政府」になるし、ケインジアンが主流になれば「大きな政府」になる。この対立は経済以外でも伝統的なものだ。

80年代のアメリカのレーガノミクスやイギリスのサッチャリズムは明らかに「古典派」の考えがベースだし、現日本の経済政策は「ケインジアン」の色が濃い。

古典派とケインジアンは超仲が悪いようだが、どちらが正しいかは「有効需要の原理が正しいか?」にかかっている。
有効需要の原理は「初めに、需要ありき」で、需要はその自身の供給を作る、という考え方である。
ここに反論する余地がある。
戦時中など、供給が追いつかない場合は、ケインズ理論は成り立たないことになる。

個人的には、ケインズ理論が一番腑に落ちる。
ケインズ理論をベースに、カバー仕切れないところを他の理論で埋める、くらいの態度でちょうど良いと思う。

日本の経済

自分は今まで経済学を信用してこなかった。
その理由が、どうにも経済学者の言ってることが、現状に合ってないように感じていたから。

しかし、この本を読んでそれが間違いだと悟った。
経済学は、資本主義が根付いてる土壌、とりわけアメリカ(or イギリス)が大前提の理論。だからこそ、資本主義国家ではない日本には合わない。
だから、日本の現状をうまく説明できないのだ。

つまり、経済学が悪いのではなく、日本の現状に合わせてアメリカ産の経済学をアジャストできない日本の経済学者の問題、ってわけだ。

ちゃんと理解すれば、経済学は有用だとはっきり理解できた。

しかし、経済問題だけに絞っても、日本は問題がありすぎるくらいある。

処方箋としては、この本で挙げられている以下4つの提言通りだと思う。

  1. 「ちゃんとした」資本主義国家になる
    まずは経済の基盤を整えないとどうしようもない
  2. インフレ・アレルギーを無くす
    その過程で、「金持ち」や「利潤追求(金儲け)」を嫌うことをいい加減やめる
    「最低賃金の強制的な上昇」を政府主導で行う特効薬も良い手だと思う
  3. 官僚制度改革
    ケインズ理論の前提は、役人が有能で忠実であること。現状にあまりに合ってない。
    経済音痴の財務省官僚の言ってることは全く信用に値しない
  4. ベンチャービジネス(革新)の奨励
    伝統主義が蔓延ってる大企業を没落させないとどうしようもない

やらなければ、日本経済は沈没して確実に三等国になるだろう。

そして、2019年の日本の現状

最初に書いたが、この本が発売されたのは20年前の1998年である。

これは驚くべきこと。
20年前と問題が変わってないどころか、さらにヒドくなってる。
こんなに前から問題提起されてて、処方箋も変わってないのに。。。

全く資本主義国家にはなってないし、インフレアレルギーはまだ根強く残ってるし、官僚制度改革なんて実施しようなんて気概は全くないし、相変わらずベンチャー企業には冷たい国のままである。

安倍政権ははっきり言って信用できなくて大嫌いだけど、アベノミクスで金融政策が経済政策として有効、と実証してみせたのは唯一の成果とは言えるか・・せいぜいそれくらいだけど。結局財政政策は行ってないし、腐朽官僚制の象徴とも言える財務省主導の消費税導入は、今のところ予定通り実施される見込みだ。

本の中で、「日本人には資本主義の精神(エートス)は根付かない」と語られてたけど、まさにその通り。
政権批判以前に、そもそも国民の問題なので、本質的には政府や行政がどうこうって話でもない。
バブル後を「平成不況」と軽々しく呼び、ましてや「不況は良かった」なんて言う甘やかされ高給をもらってきた恥知らずの経営者までいる始末・・・上の世代はあくせくと自分が逃げ切る方法ばかり考えてる。

さすがに、先進諸国で一番利己的(セルフィッシュ)な国民である。

宮台さんがいつも言ってる「感情の劣化」も、日々の生活を通して、前にも増して感じるようになってきた。

この本を書いた小室さんも2010年に鬼籍に入られた。
昔のエートスを持っている方々も少しずつ減ってきている。

知的活動として、資本主義や経済学について知れたことはすごく楽しかったけど、見えてきた未来は「大クラッシュ」以外にない。
ただ、これは絶望ではない。希望はクラッシュ後に見いだせる。

ちゃんとした資本主義国家(あるいは、別の形でも良いけど)に生まれ変わるためにも、その時を心待ちにしたいと思う。

今のところ「「資本主義」と「経済学」を一から学ぶ」にコメントは無し

コメントを残す