令和元年のGWは、ひたすら小室直樹さんの本を読みまくっている。
特に令和とは関係ないのだが、前から読もうと思って積読してたところ、天気も悪く外に出る気もしなかったので、ちょうど良い機会だった。GW中の5月3日は憲法記念日だし、憲法学ぶのにちょうど良いかも。
資本主義や経済学、数学などの原論も本当にタメになったが、この憲法言論も実に面白い。
今まで「憲法」を真正面から扱った本はちゃんと読んだことがなかった。
しかし、現在の民主主義や資本主義(経済)を理解する上で、この憲法を避けて通るわけにはいかない。そのことが、本を読んでスッと腑に落ちた。
小室先生の凄さは、数学・経済学・法学・社会学・宗教学などの幅広い知見を元に、一般の人にでもわかりやすく説明できるその解説力にあると思う。
専門知に埋没してる専門バカにはできない芸当。さすがとしか言いようがない。
頭の中を整理する上でも、この本で学んだことをブログにまとめておこうと思う。
要約
本を読んで、要約として以下の図を作った。
まずは、当然だが人々の「日々の暮らし」が一番ベースになる。
その上に「宗教(キリスト教)」が乗る。
西洋の歴史を語る上で、どうしてもキリスト教は外せない。
憲法と法律は一旦飛ばすが、国王と土地や農奴を所有していた領主との対立が「議会」を生む。もっと税金を徴収したい国王と、その権限を制約したい領主との対立。最初の議会はあくまで既得権益者のナワバリ争いでしかなかった。
ルターの宗教改革で生まれた「プロテスタント(カルヴァン派)」の厳格すぎる考え方(予定説)が、民主主義や資本主義のベースとなった。当時、腐敗しまくってたカトリックからは、民主主義なんて思想は逆さに振っても出てこない。たしかに、普通に考えれば、神様の前では人間の身分なんて関係なくみんな平等だ、という結論になる。「無限大の前には、他の数字はすべて無意味」という比喩は秀逸。
平等という価値がないと、民主主義は成立しない。
基本的人権も平等という価値観がベース。そして、その平等は神様が担保してくれるから信じられるわけだ。
また、プロテスタントの「勤勉さ」は資本主義を成立させるための重要な要素。利潤(お金儲け)が正当化される。
これって、資本主義にはすごく重要な考え。日本人はどうしても「お金儲けが悪」で「清貧が善」だと考えてしまうが、この考え方は無意味どころか害悪。企業活動を行うなら利潤を追求するのは当然で、だからこそ目的合理的になって労働生産性(限られた時間でより生産力)を高める、という思考になる。この思考がないから、日本はいつまでたっても労働生産性が低いわけだ。
さて、「議会」が成立して権力(王権)を縛ることに成功すると、権力により強い制約を設ける「憲法」が必要になってくる。
憲法にしろ議会にしろ、結局は「約束ごと(契約)」がベースになる。宗教が下敷きになっていると、契約=神様との約束ごとなので、破ろうという発想はなくなる。約束なんていつ破ってもよい、と考えていると、この図の構造は足元からボロボロと崩れることになる。
この契約の元になった思想が、ジョン・ロックの「社会契約論」。
自然状態にいる自然人である人間は、国家がなくても働いて自分の所有物を確保するはず・・・この考えの延長で、「私有財産権(所有権)」が生まれる。
そして、この所有権は資本主義にとって重要は概念。
所有権が成立しない場所では資本主義なんて成立するはずがない。
・・ざっくりとまとめてみたけど、宗教から憲法、法律、議会、民主主義、資本主義と、歴史的な流れの中で、それぞれ綿密に絡み合っていることがよくわかる。
まぁ、それも当然か。。結局、人間が作った仕組みだし、1つ1つの概念をバラバラに持って生きているわけではないので。
簡単な概要は把握できたので、あとは細かいとこで書ききれなかったことを補足しておこうと思う。
独裁者
この本で独裁者として紹介されていたのが以下3人。
- ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)
- ナポレオン
- ヒトラー
みんな有名人である(笑)
カエサルは共和制ローマを、ナポレオンはフランス革命後に成立した共和制を、そして、言わずとしれたヒトラーは、第一次大戦後のボロボロになったワイマール共和国の共和制を殺した。
要するに君主として君臨したわけだ。簡潔に、議会無視、と言っても良い。ナポレオンだけは、主権はあくまで国民にある、と言ってたようだけど。。。
独裁者は民主主義国家であれば生まれる可能性がある。
まとめ図にも書いたけど、民主主義国家の主権は国民にあるわけだから、結局は「民意」がすべて。みんなが「独裁者万歳!!」であれば、独裁者が民主的に生まれることになる。
それに、独裁国家が必ずしも悪い、とは言えない。
今の中国がそうだけど、国民が経済の成長を実感しつつ金儲けして生活が豊かになっていれば、言論の自由が多少抑制されてても仕方ない、という考え方もあり得る。
実際、今のAI技術にはビックデータが必須で、プライバシーがない国の方が技術革新を進めやすいのは間違いない。
先のことはわからないけど、5年後10年後にAI技術で中国が世界の覇権を握れば、独裁国家の方がいいじゃん!!という結論になる可能性もある。
(まぁ、すでに導入されてる「信用スコア」は、あまりにディストピアすぎるとは思うけど・・)
なんとなく、今の日本人は、本当に優秀な政治家(=独裁者)を渇望しているようにも思える。
過去の小泉フィーバーや、その息子の小泉進次郎への支持を見るまでもなく、本当にそんな人が出てきたら、まさに「民意」は諸手をあげて賛成しそう。
それこそ、ジャニーズのメンバーを応援するくらいのノリで。。。
戦前日本の民主主義
この本を読んで、戦前の民主主義はかなりしっかりした基盤の上に成り立ってたんだな、と理解できたのはよかった。
明治維新から続いた制度改革で、数十年の短期間でここまでの民主主義を成立させた当時の政治家たちの手腕は称賛に値する。マジですげー。
明治維新後の廃藩置県などで自ら武士の特権を捨てて改革を行ったことも感心するが、近代国家になるために憲法をヨーロッパに学びに行って憲法の機軸は「宗教」にある、と見抜いた伊藤博文など当時の政治家の見識の確かさ。その後「天皇教」を作り、西洋のキリスト教の神様の代わりに据えて、「天皇の前の平等」という民主主義にとって重要な概念を作り出したり、二宮金次郎を「勤勉」の代名詞に仕立て上げ、プロテスタントの勤勉さを身につけさせて資本主義の基盤を作るなど、見事としか言いようがない。
大正時代に入っても、当時維新の功労者である薩長が幅を効かせてた議会で、薩長出身以外の総理大臣が生まれるなど、着実に議会を通して民主主義を育んでいた。
世界恐慌や、軍部の暴走による議会政治の崩壊、敗戦までの流れは、必然的とは思いつつも、不幸な失敗だったと言うしかない。
元々、天皇を神とした憲法では、「国民が権力(天皇)を制限する」という発想が生まれない。天皇は絶対なので。軍部の暴走を許したのも、この明治憲法に端を発するという論もあるようだが、明治憲法が天皇と祖先との契約になってしまったのは、当時の状況を考えると致し方ないように思える。
概要でも書いたけど、結局民主主義はすべては「民意」次第。
これは、戦前も戦後も変わらない。
当時戦争を渇望したのも熱狂したのも国民自身だ。
しかし、知識(情報)はネットが普及した現在の方が間違いなく当時より習得が容易なのに、明治の政治家がそこまでの見識を持てて、現在の政治家や国民が持てないのはなぜなんだろう?それだけ、ギリギリの状況で切羽詰まっていたのか?あるいは、日本という国を命をかけて守る気概を持っていたのだろうか?
おそらく後者だろうな・・覚悟の違い。
本にも書いてあったが、終戦後、当時のアメリカ(GHQ)が認めるわけがなかったけど、民主主義や資本主義の研究をしてないアメリカ人が作った日本国憲法よりも、明治憲法をベースにして軍部の暴走を制限する仕掛けを追加した新憲法を採択できたならば、令和の現在ここまでヒドイ状況にはなってなかっただろうな・・とたしかに思う。
民主主義と資本主義というイデオロギー
民主主義や資本主義、そして憲法のベースについて深く学ぶ良いきっかけになったが、民主主義や資本主義が、必ずしも素晴らしいものだとは私は思っていない。
あくまで1つの主義(イデオロギー)でしかない。
デメリットや欠陥も山ほどある。
ただ、現時点では他に選択肢がないから採用しているだけだ。
前述したように、皆が望むなら独裁国家やエリートが支配する寡頭政治国家もありだろう。
しかし、現在の日本国民は、民主主義と資本主義を選択しているのではないのか?(・・意識的ではない気がするが。。)。そうであるならば、民主主義とは何か、資本主義とは何かをしっかり理解した上で、機能していない理由を考察する誠実な態度が必要なのだと私は思う。
その結果として、日本独自の民主主義や資本主義(経済学)にアレンジするのも良いだろう。
個人的に思うのが、中国や日本などの東アジアでは、キリスト教ベースの民主主義や資本主義は、実際のところ根付くのがすごく難しいように思う。
中国の人が契約守らない=著作権を侵害しているのも、それは欧米資本主義=所有権が成り立たないというだけの話。自分の国は資本主義社会じゃないので関係ない、という言い訳は成立するわけだ。国際化=欧米資本主義に合わせろ、って話なわけだし。
東アジアには、仏教をベースにした別の政治・経済システムの方がしっくりくるように思うが・・・現在の中国共産党の政治システム含め、日本・中国間で協力してそういったシステム作るような環境・関係性にないのが残念なところ。。
日本の現状
日本の現状に関しては、「×」と「△」を図に書いておいた。
「×」がそもそも機能(成立)していない、「△」はどちらとも言えない、という意味。
見ての通り、悲惨な結果である。
- 憲法(×)
この本の趣旨の通り、憲法は死んでるので「×」。- 司法(×)
裁判官は馴れ合ってる仲間の検事を裁く気など毛頭ない。そのおかげの99%の有罪率。
これは日本独自の司法制度で問題ないと言い出す知識人までいる始末。人質司法の話をあげるまでもなく「×」。- 議会(×)
国会議員は立法なんかしようとしてない。
森友問題?政治家の枝葉末節な発言の揚げ足取り?何のために国会開いてるかもはやわからん。よって「×」。- 民主主義(×)
主権は国民にはない。この本では日本の主権は官僚にある、と書いてある。ただ、これは2000年当時の話。現在の主権は内閣人事局=内閣府=総理大臣にある。すでに日本は独裁国家と言って良いか?言うまでもなく「×」。- 資本主義(×)
契約(約束ごと)を本気で守る気がない時点でそもそも日本は資本主義国家ではない。資本主義の重要な要素である「淘汰」もない。当然「×」。- 宗教(△)
信仰は自由なので○も×もない。評価の対象外。- マスコミ(×)
国民に情報を伝えるスピーカーとしてのマスコミ。マスゴミと言われて久しい。若者の新聞・テレビ離れは加速している。新聞各社は消費税アップしても軽減税率の対象に。総理などの政府機関の記者会見も茶番。記者からの総理への質問も事前に作成したFAQを読んでるだけ。これで権力の監視装置?笑わせる。評価に値しない。- 国民(△)
小室先生の弟子である宮台さんがいつも言っている「感情の劣化」。これは自分も日々の生活で感じている。小室先生の言う「精神(エートス=内面的行動様式)」の劣化とも言えるかも?
そんな劣化している国民の民意を、どうして信じられるのだろう・・・
本の結論として、「日本はもう死んでいる」とケンシロウばりに小室先生は語っている。
第2の明治維新で民主主義と資本主義を作り替えるべし!!とも述べられている。
明治時代の日本人に出来て、現在の日本人に出来ないわけはない、と。
たしかに理屈で言えばそうなのだが、自らの命をかけて明治維新を成した志士の精神(行動様式=エートス)と比較して、平和ボケした今の日本人にそんなことが成し遂げられるのだろうか?
とりあえずの結論
自分は基本的に楽観主義者なので、たいていのことは何とかなるだろう、と考えてる。
ただ、この複層的な構造の中で、各層がボロボロな状態なのに、単純に「信じれば何となる!!」とはとても言えない。それって、何の根拠もない単なる信仰だし。
小室先生も「現状をちゃんと認識することが大事」と最後に言っている。
それを行わないのは「見たくないものを見ない」と子供が駄々をこねてるだけ。
今の日本には、そんなに悲観的になることはない、日本の経済は何の問題もない!!と言い切る人たちもいる。ただ、問題は経済だけではない。資本主義レイヤー(層)は大丈夫だから何も問題ない、ってのは、経済学だけしか知らない専門バカの言説としか思えない。民主主義や資本主義、憲法の状況を考えると、大丈夫なんてとても言い切れない。
やはり、様々な分野のことを幅広く学ぶのは大事。その上で専門領域として1つ1つ掘り下げていく。
その1つが憲法。
小室先生は様々なことを1つ1つ深く学ばれているが、その知恵に追いつけるように、とりあえず学習は一生続けていく。
その過程で、何かしら解決策と言えるような選択肢が見つけられればな、と思う。