コミュニケーションの基礎

「大田光の総理大臣になったら」という番組を最近見てる。

金曜日の20時から日テレでやってて、爆笑問題の大田光さんが総理大臣に扮して毎回マニュフェストを掲げ、ゲストを議員に見立てて擬似国会を開催、賛成・反対に分かれて喧喧諤諤と議論をし、最後に投票してそのマニュフェストが可決か否決を決めるバラエティ番組だ。

今回のマニュフェストは「アジア諸国と共同で第二次世界大戦の歴史教科書を作ります」というもの。
ゲストは現役の国会議員やタレント、中国や韓国、台湾、チベット、ポーランドの人かな・・ユダヤ人、あとアメリカ人など。

ちなみに、ドイツとフランスでは、今年の5月に高校生向けの教科書を共同で作成したらしい。。

とにかく大東亜戦争近辺の歴史を中国や韓国の人と話すと、お互い感情的になりやすいけど、この番組でもかなりみんながヒートアップしてた。

個人的には共同教科書には反対・・というか、出来るわけないと思う。
アジアの場合、ヨーロッパみたくある程度共通の価値観持ってないから。

ゲストの金美麗さんが言っていたが、歴史には「光」と「影」がある。
それは当然持つべき前提。
ここを意識出来るか出来ないかで、話し合いがそもそも成立するかどうかって事に関わってくる。
光と影とは、要するに自分の国の「良い部分」と「悪い部分」をそれぞれ認めるということ。
それをやるには、「主観的な見方」と「客観的な見方」の両方が必要だ。
つまり、「自分の国は正しい」という主観的な意見だけじゃなくて、「自分の国のここは悪い」と外側から見て言えるかどうかってこと。

そして、「自国史」と「世界史」両方をちゃんと学ぶ必要があると思う。
世界史の流れの中で、自国が何故このような行動を選択したのか・・

自国の正当性しか認めないような主義主張の国だと、客観的な見方など育つはずもなく、共通認識など生まれるはずがない。
自分の主観と相手の客観、また自分の客観と相手の主観のギャップを認めた上で、妥協点を見つけるのが交渉・・というかコミュニケーション(意思疎通)の基礎だと思うので。
客観的な見方をしない人だと、その埋めるべきギャップが無く、コミュニケーションの結果分かり合う隙間も無い。。

所詮正義なんて国(人)の数だけあるわけだし、それぞれの正義が両立するはずがない。
だからといって、考え方が違うから短絡的に「戦争(ケンカ)だぁー!」などどいう状況にならないよう、コミュニケーションがあるんだと思う。

思うに、特に中国の人と歴史認識でコミュニケーションが成立しないのは、あの戦争での中国側の悪いところを教えられていないか、言えない状況にあるからじゃないのかな?
テレビに出てくる中国人が自分の国に対する批判を言ってるのを、ほとんど聞いた事が無いし。

そー思うと中国政府の体制の問題が大きくて、共産党政権が崩壊しないと、中国の人も自己批判できず、いつまでもこんな不毛な議論を続けなくちゃいけない気がする(・・中国が変われば韓国も変わってくるだろーし)。

コミュニケーションは難しい。
けど、難しいこと覚悟でどうせ苦労してやるなら、もっと実りある楽しいコミュニケーションが出来る関係を築きたいもんだ。

今のところ「コミュニケーションの基礎」にコメントは無し

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