検察と金融庁による事後チェック型社会

以前から「検察」という組織に興味があり、社会の中でどんな役割を担ってるんだろ?いずれ学んでみたいなーと思っていたら、良い本に巡り合い、このGWを利用して読破。大枠を理解する事ができた。

その本は「特捜検察vs.金融権力」。

1991年頃のバブル崩壊、それに伴う旧大蔵省を旗艦とする護送船団方式による金融行政の崩壊、検察と大蔵省の蜜月時代の終焉、新たな金融行政を象徴する金融監督庁(現金融庁)の創設、それに伴い変化した検察の役割、検察と金融庁の新たな関係による事後チェック型社会への移行などなど、出来事が時系列に書かれており、検察という組織の理解だけじゃなく、ドラマとしてもスゴく楽しめた。

事実は小説より奇なり。やっぱ現実の方が面白いな。。

さて、検察が法務省にあることすら知らなかったんだけど、検察という組織は、警察が捕まえた容疑者の裁判を監督する役割と、特捜による捜査&刑事訴訟する役割に分けられる。正義の味方としての検察のイメージは後者の特捜警察。戦前は相当評判が悪く、今でもそのイメージを引きずってる人がいるみたいだけど。。

日本ではバブル崩壊までは、旧大蔵省の護送船団方式が上手く機能し、検察は主に脱税と大企業汚職の摘発がメインだったらしい。

当時小/中学生&田舎者だった自分にはバブルの印象は全く無いんだけど、世の中で相当お金が余ってたんだろう。。護送船団の中で大蔵省ー日銀ー各銀行(都銀/政府系など)ー各証券会社ー大企業というピラミッドを形成していた各プレイヤーは、我先にと融資先を漁り回り、絵画や建物、住宅ローン、そして不動産などに湯水のようにお金を注ぎ込んでいたようだ。当時は大蔵省がソーシャルデザインを行っており、それが上手くいっていたんだね。。

そして、バブル崩壊。

査定無しで注ぎ込まれた融資は焦げ付き、不良債権の山となり、各プレイヤーは大蔵省に泣きつく。しかし大蔵省も初めての事態、旧来の対応で乗り切ろうとした結果対応に失敗。これが失われた10年と言われる長い不況の要因につながる。

住専問題や、大和銀行ニューヨーク支店長による1000億円を超える巨額損失隠し事件の対応などで不手際を連発した大蔵省を土台としたスキームは既に限界を迎え、社会的にも新しい仕組みが望まれていたようだ。

そして、接待漬けの大蔵官僚(MOF担やノーパンしゃぶしゃぶ…懐かしいね。。)への国民の怒りに後押しされ、検察は大蔵官僚の汚職事件を摘発。ノンキャリア/キャリア官僚ともに実刑となり、ほぼ崩壊していた大蔵省主導の戦後スキームにとどめを刺した。検察自身も公然の事実だった調査活動費の不正経理処理問題で傷つくコトになるが、信用を失った大蔵省(現財務省)は、その後金融行政の表舞台から完全に退いた。
(…とは思うけど、今後また変なスケベ心が起きないようチェックし続けないとね。。権力への郷愁は相当強いだろうから。)

変わりに登場したのが金融監督庁(現金融庁)。
元々大蔵省の内部に部署として存在していたが、ほとんど機能しておらず、住専事件の責任を取る形で独立(財務省管轄)。以後、事後チェック型社会への移行期間に、市場への検査/監督&検察と連携してルール違反を犯した企業を厳しく取り締まる役割の1翼を担うコトになる。

事故チェック型へと舵を切る事に成功した検察と金融庁。たしかに、去年のライブドア事件や村上ファンドの事件に見られるように、旧来の脱税や収賄などの摘発よりも、政治家への政治資金規正法による摘発(官製談合だから、これは収賄だけど…)や株価の違法操作(インサイダー取引や偽装取引)、労働基準法違反の企業摘発など、社会/市場の透明性(開示性)を重視する方向へ明らかにシフトしている。

司法制度改革もバブル崩壊以降行われ、2009年には陪審員制度も適用される。

名実共に、事後チェック&自己責任社会へ進んでいるようだ。

さて、一通り俯瞰して物事を整理してみた。

そこで、マル激でも宮台さんや神保さんが話していた不安だけど、ソーシャルデザインは誰が行うのか?という事が一番気になる。。

検察に権力が集中するのはやむを得ないとは思う。けど、検察をチェックする機能は今のシステムには無い。暴走するとは思えないけど、不安は残る。

陪審員制度により司法へ参加する事で、政治など社会(システム)への関心や積極的な参加を促すコトにつながるのは、自分が望んでる地方分権による自治を進めるにも良い材料になるので、好ましい方向に進んでいるとは思うけど、この図だとトータルなデザインを行えるプレ一ヤーが誰もいないコトになる。。政治家は全く当てにならないし、各省庁も相変わらず省益しか興味無いだろう。。

…ということは、企業や国民による自制の結果生まれるシステムが公共的と判断するしか無い?今の日本国民にそんなコト期待できるのかな?

陪審員制度で政治への興味が増し、民度がレベルアップするというシナリオは解るけど、このスキームはある程度の民度が既に存在する前提じゃないと成り立たないような気がする。。民度が後付けだと、何かとんでもない結果になりそう。。いずれにせよ、さっさと「お上意識」を無くさないと。

まぁ、あまり心配しすぎても仕方ないかな。。

個人的には再帰的に意識してチェックしていくしかない。
それはもう覚悟決めたはず。
であれば、実行して行きましょう。
(後は具体的な行動だな。。)

これを見てくれた方にも、検察含めた社会システムが、自分の生活の当たり前の1部として、時間あるときに考えてもらえる1助になればと思います。

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