不安の構図

久々のブログ更新。
今回はちょっと私事です。

最近、一度止めたパチンコにハマる日々がしばらく続いてました。。
やっても意味が無いと思いつつ、負け始めるとまた負けた分を取り返そうと悪循環に落ち入り、負けた日なんかはほんと精神的にずんどこな状態に。。お金使って不快な気分になってるんだから、世話無い話です。

何故やってるんだろ?とよくよく考えてみたとき、「お金が欲しい」からという理由があり、何故「お金が欲しい」か?というと留学資金とか貯めたいから…って頭の中では納得してたつもりでした。だから、まだ資金もそんなに溜まってないから稼ごうと思ってやってしまうんだと。。

けど、どうも違う。何かが違う。。
そう思って改めて考えてみると、「不安」だからなんじゃないか?
これが問題の本質ではないか?って、はっきりわかった気がします。

では、何が不安なのか?というと、ズバリ「将来」です。

年功序列/地域社会が崩壊し、無責任な個人主義/自己責任論が蔓延し、社会システムも一気に不安定な形になっている今の日本で、現在勤めてる会社にずっと居続けるビジョンも持てず、かといって田舎に帰っても仕事はほとんど無く、「再チャレンジ」なんて空疎なスローガンを唱えてる政府は全く信用できないので、新しい事に挑戦するにせよ、失敗するとすぐ生活が破綻してしまう。そんな社会の中で自分の将来に希望があまり持てなくなってるんじゃないのか?

色々なコトを知れば知るほど、何をやってもどうしようも無いという虚無感が時折襲ってきます。そんな現状に対する絶望感みたいなモノも感じてしまいます。仕事も住む家もあるし、貯金できるだけの給料ももらっているのに。。今は贅沢な悩みと笑い飛ばせても先の事を考えると。。。

そんな獏とした不安が、せめてお金だけでも貯めておこう、という行動につながってるんじゃないか?ギャンブルでお金を貯めるコトなど出来ないコトは理解してるんですが(まぁ、株式投資もギャンブルの一種ではありますが)。一度はそれを理解してギャンブルを断ったわけですし。。

情けない話ですが、自分の意志が脆弱な事ももちろん理由の一つです。

不安だからお金にすがってパチンコをする⇒負ければさらに不安に…勝ったとしても大勝ちしない限りはいくら勝った時点で止めるか?その判断をする上でさらなる不安に⇒そして結局はやる前以上に不安に⇒さらにパチンコをやってしまう。。

どこまでも抜け道の無い「不安」のスパイラル。。

昔は「貧乏」でも幸せに暮らせる社会的な仕組みがあったようです。僕もお金がない状態=「貧乏」がそれほど悪いとは思いません。しかし、今は「貧乏」ではなくて、住む家が無いネットカフェ難民がいるように、これは明確な「貧困」です。格差社会は悪くないなんて言う人もいますが、格差(貧乏)が問題なのではなくて、年収100万円しか稼げない人がいるという「貧困」が問題。100万じゃ生活するのにギリギリで保険にも年金にも入れない。こんな状況でどうやって再チャレンジなんて出来るでしょうか。。

「貧乏」はいいけど「貧困」は嫌。

今は運良くそういった状況ではないとしても、将来そうならない保証は無い。そんな不安がベースにあり、ギャンブルに走るような弱い心を増長させてしまったように思います。

ただ、今回この事に気づき、不安を生み出す構図が理解できました。
今後は少しでもその弱い情けない自分を変えたいし、変えなきゃいけない。

今後は生涯パチンコはやらないようにしようと思います。
ギャンブルが悪いとは思わないですが、それに溺れる弱い自分は大嫌いだから。。

その決意表明というか、考えをまとめる上でも、このブログを書こうと思いました。

(…こんな個人的な話を読んで頂きありがとうございました)

今のところ「不安の構図」にコメントは無し

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