久々にHDレコーダに撮り貯めた「爆笑問題のニッポンの教養」って番組を観ました。
今回観た回は、結構前のやつなんですけど、慶応義塾大学で慶応の教授達と爆笑問題の2人がディベートを行うという趣向。途中で慶応の塾長まで参加してました。。
話のテーマは「2030年」の世界はどうなっているか?
日本の今の現状を踏まえて、その延長である23年先の2030年が、どんな世の中になっているかを予想、というかこうあって欲しいなという希望を交えて話が繰り広げられました。
話を進めるうちに、やはり未来の話では必ず出現するテーマ「どうすれば幸せになれるか?」って話になり、どういう形が幸せか?それは人それぞれだけど、技術の進歩の先に人間の幸せはあるのか?いや、「技術の進歩」と「人の幸せ」は全く別ものだ、ってな感じで話が繰り広げられました。
この議論の結論はあって無いような物だし、自分が言いたい事とも若干ずれてるので細かくは書かないですけど、面白い番組でした。すごく。。
さて、今回自分が言いたいのは「幸せ」って何か?ってこと。
今まで何度も考えてたし、ちょうど今日友達とも同じテーマで話したので、考えるきっかけとしてはちょうど良かったんですが、何か一つの結論めいたコトが頭の中で結びついたので、ブログにまとめておこうかと思います。
「自分の幸せ」って何?
そう考えたときに、いくつか思いつく幸せな瞬間ってのがあります。
「晴れた日に用事を済ませてお家でのんびりお酒とか飲みながらダラダラと過ごす時間」とか「澄み渡った早朝、ロード用自転車で川辺をかっ飛ばしてる時間」とか「友達と時間を気にせずに言いたいことを話してる時間」とか「恋人とのんびり過ごす時間」とか。。
結局、「時間」って言葉を何度も使ったんですが、幸せな瞬間/時間はあるけども、それは長くは続かないもんだなーと思うんです。つまり、「一日ずっと幸せ」って状態はあり得ない。
のんびりお酒を飲む時間ってかなり平凡ですけど、幸せって刺激的な出来事の中にあるんじゃなくて、こういう平凡な日常の中に隠れてるものなのかなーと思います。平凡の中に突発的に湧き起こるからこその「幸せ」だと。。だからこそ、平凡ってことを変に嫌ったり恐れたりする必要はない。。どんな人でも大抵日常は平凡なもんです。そんな平凡な、淡々とした時間の流れを楽しむコトが出来れば、人生はかなり幸せになるんじゃないのかしら?
また、のんびりした時間を実現させるには条件がいくつかありますが、その中に自分が生きてるこの世界、「地球」の状態や「社会」の制度、それを実現させている自分の「経済力」、それに自国の「治安」とかもあります。だからこそ社会や政治とかにも興味が持てるわけですし。。自分の幸せな状態を保つには、安定した社会や安全な治安が必要で、それには社会システムや政治システムがしっかり機能してないといけません。
いくつかの「幸せの形」を挙げましたが、もっと他の「幸せの形」も当然あり得ます。
仕事を、「経済力」を維持するための手段と割り切る考えもあるでしょうけど、自分は割り切るコトができない。だからこそ転職をしようとも思うわけだし、「仕事を通した何かしらの幸せの形」があるんだろうと思って、仕事をし続けてるんだろうと思います。
もちろん、仕事だけじゃなくて、「子供と過ごす幸せの形」ってのもあるんでしょーね。
だからこそ、みんな結婚して子供産もうと思うんだろうな。。今の自分にはわかんないですが。。
まだまだ他にも色んな種類の「幸せの形」がある。。今の時代は価値観の多様化に伴って、こんなにも「幸せの形」が増えてしまい、社会共通の「幸せ」を感じられなくなってる。。個人的にはそれは良い事だと思いますけど、それが個々人がバラバラになったような「孤独感」を強めてしまい、「不安感」を増幅させているのかもしれません。。自分は何に幸せを感じるのか?いわゆる「自分探しの旅」は、旅を通して成長(自己の価値観を練磨)していき、行き着くところは、いくつかの「幸せの形」を発見するコトなのかな?って思ったりします。
今感じている幸せになれる瞬間は、今後も変わることは無い気がしますけど、たぶんこういった幸せになるためのスイッチを出来るだけたくさん持つために日々頑張っているのかな?って思います。みんな結局そうなんだろうなーと。。
何となく真理の1面が見えたような気がしたので、考えまとめのついでにブログにまとめました。
みなさんの何かしらの考えるきっかけになれば、それも1つの幸いです。