published by よねさん

押井守監督の最新作。

DVDは当然まだ発売されてないので、左の画像は他サイトからちょっと拝借したもの。

最初に言っておくが、ネタばれ内容が書いてあるので、観てない人は読まないように。。

さて、今回の最新作「スカイ・クロラ」だが。。
すっごく良かった!!!

メッセージが何より解りやすい。
間違いなく、これは10代後半〜20代前半の若者に向けて、押井監督が今の時代にどう生きれば良いのか、そのメッセージを語った作品だ。

舞台は、平和を維持するために大人達が用意した「ショーとしての戦争」が行われている近未来(?)。永遠に成長しない子供達「キルドレ」達だけが、その戦争に参加して、日々死と隣り合わせの生活を送っている。そんなキルドレの1人(2人か。。)が主人公のお話。

まず、その舞台背景が興味深い。

既に現実の世界でも、各国に雇われた傭兵達が参加し、国民同士の戦いでは無くなってしまっている「戦争」。
この話では、そんな現在からさらに状況が進み、1企業が国から請け負って、企業同士が代理で殺し合いの戦争を行っている。

キルドレ達はその企業で働く従業員という立場。
(作中で主人公カンナミは「仕事」と断言している)
つまり、大人達が、キルドレという若者達に、代理戦争をさせているという舞台背景。

作品中で唯一押井節が出たシーンだが、登場人物クサナギが語る、人間が戦争を必要としている、しかも生身の人間が「死ぬ」形としての戦争を欲している、そのことでしか平和を実感できないという話は、悲しいが真実だと思う。

今後も絶対に戦争が無くなることは無い。。
人間がそんな状態にまで変化(進化…あるいは退化?)するとは私は到底思えない。

閑話休題。

この舞台、というか「ゲーム」では、いくつかの「ルール」が存在する。

永遠に年を取らない若者。
仮に死んでも、同じ遺伝子を持った別人に入れ替わるだけ。。
繰り返される連鎖。
これは、このゲームが終わらないための設定の1つだ。

また、作品に出てくる、大人の象徴である「ティーチャー」は、いわばゲームの「審判」だ。

プレイヤー」は絶対に勝つコトは出来ない。
そもそも「審判」に対して、「勝ち/負け」など無い。
最期にカンナミが戦死するのも当然の結末。
ティーチャーの顔が出ないのも同じ理由。出す必要がない。
固有名詞すら必要無いのだから。

整備上にいる整備士「ササクラ」も同じ存在。
この人はゲームの「副審」だ。
だからこそティーチャーの「ファーザー」に対比して「マム」と呼ばれている。
ルールは全て理解しているが、けっしてプレイヤーに助言はしない(できない)。

しかし、その中で、一人だけルールから外れた存在がいる。

それがクサナギだ。
彼女は何と子供を産んでいる。
その時点でルール違反だ。

だからこそ、キルドレなら普通はならない、司令官という役職に付いている。
これはいわば「監督」か?
しかし、通常「監督」は大人がする役割だ。

しかし、「子供を生んでいる=大人」ではない。
彼女は死にたがっている。
その連鎖から「死」という形で抜け出したいと願っている。
しかし、「死」んでもまた再生されるだけ。
連鎖からは抜け出せない。

カンナミは最期クサナギに対して言う。

「君は生きろ。何かを変えられるまで。」

出撃後、「ルール」に沿った日々の中で変化に喜びを見出して行くのも良いが、
時には「ルール」を変える必要があると、カンナミは自問自答のうえたどり着く。

そして決意する。

「ティーチャーを撃墜する(キル・マイ・ファーザー)」

では、作中でもあった問い、「ティーチャーを殺したら何かが変わる」のだろうか?
答えははっきりしている。
「審判」がいなくなっても、「ゲーム」は終わらない。
代わりの「審判」が出てくるだけだ。

仮にカンナミが「ティーチャーを撃墜できた」として、カンナミ自身は一歩大人に近づくかもしれないが、それで「ゲーム」が変わるわけではない。司令官にはなれるかもしれないが。。
ひょっとすると、優秀なパイロットだったクサナギも、過去ティーチャーを撃墜して司令官になったのかもしれない。
(当然ティーチャーにも代わりはいるだろう。。)

作中でキルドレ達はよくタバコを吸っている。
タバコは、「子供が大人に憧れる」象徴だ。
だからこそ、作中であれだけタバコを吸うのだろう。。

しかし、最期クサナギは、カンナミの帰還を待っているとき、タバコを吸うのを止める。
おそらく「憧れる」のを止め、「大人になる決意」をしたのだろう。
そこには「死」という逃げ道を選択するクサナギはもういない。
生きて何かを変える決意をした彼女だからこそ、エンドロール後に、新たに赴任したカンナミの代わりの男に対して、「待っていた」と言えたのだろう。

確認は出来なかったが、おそらく彼女のデスクには、灰皿はもう無かったはずだ。

「子供」と「大人」の対比はこの作品のテーマでもあるが、「大人」の定義は解りづらい。
自分も今は32歳だが、自分が「大人」かどうかはわからない。
「20歳を過ぎたら大人」という基準も既に価値は無く、我々は何の基準も共有していない。
個々人の定義によってバラバラだから、これだけ解りづらいのだろう。

私個人の定義では、大人とは「人や社会と関わりを持つ決意をした一人前の人間」だ。
周りからの「承認」以上に、本人の「決意」が大事なんだと思う。
(結婚や出産がある種の転換期になるのは、単に「決意」しやすいからだろう。。)

だからこそ、この作品の最期がしっくり腑に落ちるのである。

押井監督は、映画を公開するにあたり本を2冊ほど出している。
その1冊「凡人として生きるということ」を読んで、監督のメッセージがより鮮明になった。
(簡単ですが書評も書いてるので、ご興味ある方はこちらへどうぞ)

監督はこの本で「若さには価値が無い」と論じている。
私もその通りだと思う。

「大人」になれ

それが監督が若者に向けて発した、一番大きなメッセージだと思う。

覚悟が決まれば人生は楽しい。
本の中でも、監督は「大人」は楽しいと言っている。

そんな監督の思いがよく理解できた、今年観た中では一番の、ほんとに良い映画だった。

□スカイ・クロラ 公式HP
http://sky.crawlers.jp/index.html

今のところ「「スカイ・クロラ」」にコメントは無し

コメントを残す